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他山の石

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統計の取り方は取り方や出し方で意味合いが変わることは多くあると思う。
意味合いと言うのも人が見た感じ受ける印象の事であったり、その数値を利用する方向性であったり様々ではあると思う。
何にせよ使い方次第というところはある。
ただ基準としてどうとでも切り取れるものを大きくしたり小さくしたりするのは、そこから判断させる方向性を狭めるという意味で自己責任になってくるだろう。
晴れているから種をまこう、雨が降っているから種をまこう、それぞれの判断が自由であるということの対価は自分が得る未来で支払われているのだ。

 


離婚の話については統計のデータの数値というものが合計なのか総計なのかよくわからないところがある。
なにしろ離婚は一回しかできないはず。結婚を複数すれば離婚も複数回できると思うけれども、一回の結婚につき一回の離婚だ。
これが割合的に大きくなるとはどういうことだろうか。
何年たつと別れるのか、どういう事が起きれば別れるのか、別れる夫婦について多い傾向があるというのか、何月何日は別れやすいのか。
ただ数値として多いというのは、数値が多いというだけだ。
ならば数値に対しtえどういう行動をとるかというだけだ。
別れるのが問題であれば、別れる原因があるならば、それを対処するまでだ。
もし仮に属人的に問題があるという結果に至るならば、教育が必要ということになるだろう。
国が教育の指導内容として「結婚とは何々であるべきだ。これは国が定めている。離婚などみとめられるものではない」と教育する結果になるだけだ。
表現の規制なんかもそうだろう。
どれもなにかがわかっていないのに対処だけしようとするならば大きく問題や歪みが発生することになると予想される。

 


離婚が悪い物だというのは印象としてまずあがる。
事情もしらずにとは大切な指摘だ。
離婚していいことがあるのか、という話になると、良いことはある。
相続する遺産が減ることを危惧して離婚し慰謝料として支払っておく、なんてこともある。

離婚について詳しいわけでも不要や家族での財産や税金、保険や補償について詳しくはないので詳細はわからない。
ガンになったら倍増するその意図がなにか通俗的に儀式のようにあるのならば、それに則っているのかもしれない。
医療の方法や方針について、離婚しておいたほうがより双方に利益のある選択ができるのかもしれない。
家庭があり子供がいた場合、子供に対する負担を経済面かそれ以外かで小さくするためにとれる手段かもしれない。

 

それらを選択する局面だガンだったとしたら、もう少し文化的背景を探る必要はあるだろう。
単にそうではなく別れているだけかもしれない。
「別れるような夫婦はガンになりやすい」という話しなのかもしれない。

 

選択の内容がわからないので何ともいえないが、それがわかったとしてもわかるまで調査した結果はそれをどうしたいかという方針によるだろう。


あなたが他のうち、何々なものだけが石を投げなさいというやつである。
自覚としてそうなので石を投げますという人もいるだろうし、石を投げられない人もいるだろう。
しかし石をなげるという行為自体は否定していないのだ。

 

自分にその投げる石が握られていたならば、自分はどう使うかという選択の話だろう。
他人が投げているそれをみて、投げてはいかんとするか、投げようとするか、それ以外にも使えるのではと考えるか。