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検索する時期によっても変わってくると思いますが2020/02/18時点ではみかんとコラボでスカートが問題という話題です。

 

この時期はアニメ絵のコラボで様々に問題がおきて中止になったりしたイベントがあるなどそこそこ話題になっています。

 

私はいまでこそアニメとかみなくなりましたが基本的には好きで、最近の動向についてはいけなくなりましたがまた機会があれば部分的にでも見たいと思っています。

 

前回の献血で宇崎ちゃん問題から学びがさまざまにあり撤退は鮮やかで問題は大きくならなかったように見受けられます。

内容的にはだいぶ根深い問題だとおもうのでこれでアニメ側が意固地にならなければいいなと思うのですがほかに同系統の問題が発生したあとなので穏便に裁量してもらえたらいいなと思います。

 

 

ここでまた日の目を見ることが少ない主義主張の方が追撃でどこまでも深く追ってきたりしていますがよけいにこじらせていることを公表していくだけなのでやめておけばよいのにと思います。

 

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実際これを論じて攻勢にでたり防御につとめる場合はそんなことは当然で、なぜそれが起きるのかを知っておくべきです。

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ではコラボする理由は何なのかというと、その影響をうける支持者の人数なわけです。

人気アニメの、となればその人気アニメに数珠繋ぎで何千人、何万人と人が連なっているわけです。この市場に商品を投入しようという形がコラボなわけです。

この支持者が多いから芸術になるんだとか美術だとかいう転換を行うと、裸の絵画とならべて美術館におけるのかということになります。

これがおけないわけは、支持者層が違うわけです。お金をもっていて業界や団体に影響を与える数人がその価値を認めたり所蔵していたりするものは美術で芸術なのです。

これは美術や芸術を分野として成り立たせる担当の人間がそれをそう分類しているわけなのであたりまえではあります。ではアニメは芸術になりえないのか、というと、なりえません。その業界で流通している商品ではないからです。

アメリカドルを商店街で使えるのかといえば、それは無理です。アメリカ兵を引き連れて八百屋のおやじにドルがつかえるかどうか、何時間でも交渉するならばドルで野菜は買えるかもしれません。それは本来のドルの使用方法だったでしょうか。

アニメ絵の技法や芸術的価値を美術界に売り込む必要があるのかどうかといえば、とくにないのではないでしょうか。

逆にアニメに美術的な哲学や思想が必要かといえばそうでもないでしょう。それは分野が違うからです。ただどちらも同じ言語においては同じ表現をすることがあるので陸続きだと思われがちなので、同じだと思ってしまった人が遠慮をなしにぶしつけな指摘をすることはあるかとは思います。

 

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アニメでなくても健さんでもYAZAWAでもアイドルでも同じようなことをすれば同じように批判をされます。

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