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満足と責任のトレードオフ

 

 

ドラム型のコンセントの延長が巻いたままつかうと危険という事で、美術系の展示の現場が話題になっていました。
ドラムから全部引き出して使うものだと。
ドラム型の延長を使うなんてことは10メートル以上離れていたりするところに使うもので、そういう状況ではだいたい監督者か上の立場の人がへんな使い方をしているところを見かけると注意することが多いと思います。
責任が責任者に実際に降りかかってきますし被害をうける側も塀をまたいだ他人ではなく毎朝全員顔を合わせる相手だったりするので身近なものでもありますし、そういう知識を惜しまずぶつける現場でもあったりすることが多いのではないでしょうか。


ドラム型の延長をもっと安全にもっと便利に、現状ではなにかが足りていない、と問題を提起するのもありかと思います。
しかし現状、巻いたままつかうような距離につかうものではないということと、近距離ならばそれ相応の延長が別にあり選択は可能であることを踏まえて考えるべきことかもしれません。

包丁に例えて、これを安全に設計するとなるとICを組み込んだり自動で保護する機構をつけたり認証動作や使用記録をとれるようにすべきとなるかもしれません。
しかし現状、取っ手と刃というシンプルな構造のまま運用されています。
この現状と、使い方や危険性の周知を教育として盛り込んでいない事は問題にはなっていないかと思います。
たまに包丁を家からもって出た状況や使い方について問題視はされますが、それは包丁の種類や形状の話ではなく持ち出して用途以外に使用したことについて問題視されているかと思います。

ドラム型の電源延長は、使い方によっては危険かもしれません。またそれを使用する場面はその長さが必要な場合であって、短い距離にも対応できる機構が必要というものでもありません。

包丁で肉を切るのに、おたまや料理箸やフライ返しや温度計が付いていないのは不便だと感じたことはあるでしょうか。
また包丁にそんな機能がついていたら便利なのにと考えたことはあるでしょうか。
たしかに、どれかに機能がついていて二役三役こなせると便利なツールもあると思います。キッチンに限らずあるかと思いますが、なぜキッチンにこだわるかという理由も特にないですが思いつきやすいのでキッチンまわりの話になりますが。
いろいろな機能が一つにまとまったツールを料理でどれくらい使っているでしょうか。
私はそう多くはないと思います。
なぜならば、一つ壊れるといくつもの機能が同時に失われることになるからです。
また付属した機能が使用したい機能の利便性を阻害する場合もあるかと思うからです。
それぞれが独立してそれぞれの役目を果たしてくれることが、量的には多くなりますが利便性は機能をまとめた場合と反比例する形であがると思います。

 

ドラム型のコンセントは、そこにあるべきではなかったという事と、そこに使うべきは適切な長さの延長ケーブルだった、というだけの話です。
この状況をシェアしてもらって、情報を受け取り感じて自分がなにかのレスポンスをどこかに、他の誰かや未来の自分に投げるという行動をするときの要点は次のどれかになるかと思います。
①それが危険だと周知されているか
②その状況が身近にも発生しうるか
③適切な対処は何か
④なぜ危険なのか
なぜ危険なのかという理由は、それが問題だとされている時点でなにかあると考えるだけでも良いかと思うのですが、納得するということで作業担当する個人が率先して啓蒙しやすくなるというメリットがあるでしょう。
しかしそれ以上の必要性や価値があるわけではない、知らずにそうしていたとしても実際することで効果があるわけなので、特に優先的に必要な事柄ではないと思います。


これを、作業をしている人間について人間自体の能力や状況、評価を無関係な人間が情報として発信する必要性は全くないと思いますし、その行為自体とコンセントは全くの無関係だと思います。
単純に考えれば、コンセントの使い方があぶない、あぶないことをしている人間がいる、その人間が問題だ、として人間が人間を叩くという行為をする、すると叩くという行為だけで叩かれた人間はたたかれないように策をねるようになるだろう、という流れを想像して正当化できるのではないでしょうか。
それは全然正当でもないと思いますし効率的だとも思えないですし、原因と結果に関係があるのかといえばほぼないかと思います。発生する火災の代わりに燃えてあげる燃やしてあげるという行為が親切というならば、それはありかもしれないとは思いますがそんなことはないと考えるのが一般的ではないでしょうか。


コンセントと包丁の話は

①使い方に問題があったとして
②その使い方に問題がある設計である事には理由がある
③最適なものに変更する必要があり
④最適なものとしても使えるように再設計する必要性はない

という要件が含まれているという話でした。


使っている人間が悪い、使い方を間違えている人間が悪い、人間とは悪いものだ、悪くない人間が悪い人間を裁くのは良い事だ、とかそういう話ではありません。
またなんでも使える便利機能を全部盛り込んだら全部が不便になるかもしれないということも考えてみる必要があるという事でした。


私の家ではこんなことがあった、こうしているが問題はない、という事例は人間の数だけあると思います。それぞれが正解でも問題はないかと思います。
スマホだけを見て家から会社まで横断歩道を渡ったり電車に乗ったりしながらだけれども事故にあったことなどないし安全だといえる、という人もいるかもしれません。
目をつぶっていても道路を横断できるので横断歩道のある信号まで移動する必要なんてない、という人もいるかもしれません。
だからといってその人たちのナレッジがその人たち以外の役に立つでしょうか。


ドラム型の延長ケーブルは、あまり使う機会がない、使う機会がない人には無縁のもの。
無縁の人でも使える設計にする必要性はとても薄いもの。
なぜならば、もっと適した延長ケーブルがあるから必要性は薄い。
ドラム型の延長ケーブルが1メートルから5メートル程度までバリエーションのある延長ケーブル市場に割って入り駆逐する必要性があるのかどうか。
ドラム型に熱意のある人が普及を祈って啓蒙するのであればありかもしれないけれども、延長ケーブルというそれそのものの役割や用途からしてそういった人が現状いないであろうこと。


ならば危険であるという事と、かわりに最適なものを使うべき、というだけで良いのではないでしょうか。
また危険だったという情報や改善してよくなった情報などもあると、よりよいと思います。よりよくなるための情報は多くても良いのではないでしょうか。
現状その結果になってしまう前提があったため結果として、その状況が発生しているわけなので、なぜどうして○○しなかったのだという事はナンセンスです。
その発生の背景にすぐに考えが至らない人のほうが問題があるかもしれません。それがいいとおもっていたからそうしたまでのはずです。


包丁も結局完璧な安全機能と料理全般につかえる多機能を搭載していません。
料理道具はおおむね単体の役割しか搭載していません。
大さじは小さじを兼ねないし計量カップはそのまま食事につかいません。フライ返しはスープを混ぜませんし、めん棒で炒飯を混ぜたりもしません。
なのに不便で改善すべきだとだれも提案をしないのはなぜでしょうか。またそれを提案したとしたらどう感じるでしょうか。
使えるのに、使えるから、うちでは使ってる、という人も勿論いると思います。そういう運用で各段に便利な状況もあるかもしれません。


みんながよりより関係をもってより良い状況をつくって、よりよい運用でよりよい暮らしをつくっていくために必要なのは何かと考えたとき
必要なのは、道具の再設計や人間への指導や状況の破壊ではなくて、よりよい選択肢があるということ、その情報を共有するための環境の一部に参加することではないでしょうか。

参加するにあたって状況の把握として
①現状の問題点・危険性
②現在ある改善方法
③現在ないあたらしい改善方法
④現実的ではないため現状存在していないあたらしい改善方法の創造
これらはそれぞれ完全に別物だと思います。

現在使用している問題があるだろうとされている事について、それが問題だとされている事について問題ではないという定義にしようとする事の意義はどこにあるのだろうかと少し考える時間があっても良いのではないでしょうか。
だれも問題のある行動を個人の裁量で済む範囲内で行っているならば、そこは不介入だと思います。介入されないためには公開して他者の出入りを自由にしたりしないことです。
もしかするとその状況が最適だという違法的な運用もあるかもしれません。実際そういう現場はあるかもしれません。安全装置につっかえ棒を差し込んで素早い動作で効率を上げているなんて所もあるかもしれません。
それらが良いとは言えませんが、関係のない所やちゃんと運用している所や安全を確保しているところに改善を要求するものでもないと思います。

包丁に安全装置や安全対策を盛り込むと、ご家庭に影響してくる負担を考えると、これは最適な方法にすべきという事で足りると伝わるかなと思った次第でした。
ドラム型の延長ケーブルに欠陥があるわけでも危険があるわけでも、巻き取り式のケーブルにあらたな対策が必要なわけでもなく、使用者について義務や反省を必要とするものでもないと思います。

それよりもよりよい方法があり最適な選択肢もある、と伝えることができたらそれでよいのではないでしょうか。
情報を伝えたいと感じた側の人も、レスポンスの具合で自身が納得した度合いを改善の評価とする意味がないので、伝える事までにて気持ちを納めるべきかと思います。

よりよい社会になっていくことに自分の成果を感じられないのは満足感が足りないかもしれませんが、世の中の不足している部分の責任を自分が背負わなくていい事とトレードオフだと思います。