読まない。

書くだけで読まないブログ。

コスパなどない。

コスパでいうと、リスクとコストで見ると、などということに意味はない。

リスクとは何か。

コストとは何か。

リスクは取り組みについて希望しない結果に至る可能性。

コストは取り組みに使用される材料。

これらが最大限にいかされてパフォーマンスを高く発揮することを形容してコストパフォーマンスというがそれはパフォーマンスという水準や規定や規格の話ではない。

生かされている様がパフォーマンスである。

ときに坂道で燃料費を無駄に速度が出ずに機械の疲労や摩耗も大きく登らざるをえない場合、損失も機材も気分もなにもかもパフォーマンスは低減する。

それはコスパが悪いのか。坂道を上るというバリューについて支払うべきはどれほどのコストだったか。坂道の上にゆくリスクはどのようなものだったか。

坂をのぼらないという選択をすれば済むだけの話ではある。しかし坂の上に目的のものがあれば、その目的は上るというリスクとコストとは別個の問題である。それを統合してコストのパフォーマンスというならば、その目的について代替案を用意することでヘッジなりをする必要がでてくる。坂の上で手に入るものがあったとしたら上らずとも手に入る方法、坂の上からもってきてもらう方法、ちがうもので代用する方法、など多岐にわたる。それと坂道を上るという事についてのコストとパフォーマンスはもう測定がほぼできないほど細分化され基準が喪失するだろう。

 

欲しい時にとれる手段を選択する、ということがその目的を達成する唯一の方法でありそれを回避するかどうかの検討をするというのは検討をするという方法の選択の前の段階での手段であり、完全に別個である。

空想しただけで罪になるのかという話にちかい。計画を立てるということは目的を達成することにつながるがそれは同軸上のものではない。

 

行動の結果はすべて最善で最適で必要な機会のものだったということなはずである。

他に異なる結果にいたる同じ道があったとしたら、それは計画という段階での結果であり結果がでた後での感想という想像の産物である。

 

コスパがいいものを選択するしない、という選別の段階で存在する仮想と、実際に行うことができる一つだけの事象では、実行時の都合や運などでその結果が変化する。

三者の介入を完全に遮断することは不可能。

実行時に時間の概念その時点や結果を評価するタイミングなど時間という位置が要素にありそれは評価ができるのは過去になったものだけ。

 

リスクを回避するための5分前、ちょうど、5分後、などあればその3点でそれぞれの最適である条件と結果がでることになる。

三つを行いそれらから最善というリスクヘッジもあるだろう。それは3回の試行による最善の選択という「三つの結果の作成」というコストとそれを準備として次の「最善の結果」という評価をつくるプロセスに分けて作ったということになる。

 

つまり一つしかない結果や一つだけの試行で得られる結果はそれぞれに最適しかない。

それを複数平行して作成し、最善を選択するということで最善ではないものの回避や再考であるものの獲得とする、数で確率を圧倒し結果の幅から端部を取り出す方法にはバランスやそれこそ「リスクとコスト」が計算内に入ってくることになる。

 

たった一度の人生や一人ずつちがう人生を歩むうえでコスパなど存在しないしリスクもない。それしか選択肢がないから。

他人の結果をみて自分も真似ができる、してみる、そして同等の結果を獲得するということができる場合もある。それが全く同じプロセスを踏んだのに失敗に至るという例もあろう。

それは他人の情報がリスクやコストの算出に役立つかどうかということについては、選択への安全以外に意味がない。

100パーセントはないからだ。

 

結果が過去のものであった場合、それを数量的に列挙してそれぞれを比較するときにリスクやコストと評価ができる単位は見受けられるだろう。

その中から再度繰り返して同じ結果が得られると判断できたりそれを選択することもできるだろう。そして過去の結果を鑑みて確率が高いと安心をしたりリスクが少ないと考えたりコストを抑えるという試し方もあるだろう。そしてそれを行うタイミングが最適で運のよいこともある。

しかし実行は1個だけだ。

これについて実行時のコスパは存在しない。その時しなければ存在しないからだ。