読まない。

書くだけで読まないブログ。

問題はどこに

 

 

b.hatena.ne.jp

おっぱいと言葉遣いの問題だったのか。

b.hatena.ne.jp

それ以外の要素も詰め込めばよかったということか。

 

b.hatena.ne.jp

 結局、おっぱいは人を泣かすのか。

 


女性の胸の取り扱いについて社会的なコンセンサスがどうのという話はもういいかげんどうでもいいとしてあげないとただでさえ肉体的に負荷が一般に比較して大きく着衣に関しても気づかいと金額が大きくなる特定の個人に対してより負荷をかけることになるだけではないのか。


私は当該漫画は好きではないし性差や身体能力差について描かれる表現作品についてその差を特徴的に活かす描写のものはもとより好きではない。
力が強いとか胸が大きいとかそれはそういう特徴もあるだろうしそれを活かす場面も方法もあるだろう。
それをその威力のほかにすごいだろう、してやろう、お前はどうなんだ、とその威力自体以外に自尊心や優越感といった付加価値的なものを追加してくる、追加しようとする表現の浅ましさが鼻につきその臭気が好みでないため好きではない。
もちろんそれが好きだという人はいる。味や匂いに特徴のある食べ物を好む人もいれば苦手な人もいる。それを放置することを自由というのではないか。
プラスにもマイナスにもつかないふらふらとしていていい層を許容することが自由なのではないか。全人類的にプラスなのかマイナスなのか、善か悪か、白か黒か、右か左か、どちらに属するか、それがすべてである、といわないことが自由なのではないか。
私はそういう意味において自由を尊重したいし尊重されたい。
なので女性の胸についても含め、髪がピンクだろうと露出が多かろうと別に問題ではないだろうと思う。問題視している話題について比較するならほかのはどうだと揶揄することはあるが実質どうでもいい。

 

かのコラボの批判の時には、あの漫画のその煽り体質が好きではないので嫌いな漫画批判するのだったらそこではないだろうというような意見はもっていた。攻め落とすならそこからのほうがと思っていた。
よほど女性の胸は世間を動かしやすいというのか、ずっとこの話題なのでどうでもいいと思うのだが皆そんなに胸に悩みをもつ女性を手あたり次第に殴打して死ねと言ってまわりたいのかと気になる。
女性の胸についてなにか統一基準でもつくりたいのだろうか。

 

第一弾と第二弾のコラボでなにが変わったのか、それは見てわかるとおりだろう。おっぱいがちいさくなった。ではない。というか胸とか関係ないだろう。
一コマが複数コマになった。そんなものは見てわかるだろう。1コマのキャラ絵がかいてあったものが、ストーリーになってる。
これだけでわかるのではないか。違いが。ストーリーが書いてある。みんなの大好きなコンテキストである。
これで太田弁護士がなっとくの一言を天上から下して頂けたそもそもの理由ではないのか。
「これなら漫画とかよまない私でもこれが漫画で、どういうお話で、そんなこといってこれは広告なんでしょ?」みたいな感想がもてるということだ。
おっぱい!そしておまえら血をだせ!っていわれても、なにそれいきなりセクハラ!となる、という路地からいきなりおっさんが出てきたら通報して逮捕という話だということだ。
もちろんおっさん側にはコンテキストがあり、家からそこまでの経路があることを説明したいのだが、食パンくわえた女子高生にはいきなりである。逮捕である。
それが、垣根をさげておっさんがむこうから歩いてくるのがみえたら、あ、おっさんなのでジャンプしてかわそう、足をとめようと女子高生にも選択肢ができるわということだ。
おっさんは世間にどこにいるのかスマホでわかるようにでもしろといいたいのか、プライバシーはないのか、そこにいることを認識されていなければいけないのか。
漫画が連載されていて一部に人気がありグッズを集めていることが世間に認識されていないものはコラボしてはいけないのか、ということになる。
もちろいんいけないことはないが失敗することはある。その失敗例が前回で、前売りチケットで予定数を決めたり市場調査で販売規模を決めるなどあったほうがよりよい。
それを踏まえたマーケッティングが「なるほど漫画はこうなのね、あっそう」と一蹴されることで済んだ死体のフリ作戦である。この関門を死体として通過できたら前回のクリアファイルも配布できるはずだ。
「それしってる、そういう漫画のそういう一コマなんでしょ」というファイルを配布できるのではないか。
それでは前回の批判が覆ってしまう。卑猥な女子の絵がかかれたポスターやクリアファイルは公序良俗に反するというものが今回は反しないわけだとなる。
大昔の日本ではそんじょそこらで未成年が局部しか隠していない水着の絵を張り出したりはしていなかった。それがいまや週刊誌としてどこでもお目にかかれる。
認知の浸透で大衆の基準がかわったのなら、認知度で基準を変更できるわけだ。今回は先鋒としてまずくさびをうつ基本からきたということが、第一弾と第二弾でかわったことだろう。
作戦としては順序が逆だけれども、いつもどおりの行軍で現場に踏み込んだらたまたまそこが地雷原だったので先の部隊が全滅しただけのこと。
今回は斥候に索敵をさせるため胸に微細な表現を装備させなかったり索敵重視で戦力を落としたやわらかい皮肉のやりとりで関係性を明示したりときたわけだ。
次に、本体としてきつい女子の批判ことばで女性の胸など強調した腹立たしい言動を魅力で中和するというドタバタコメディを突入させそちらの愛好者を熱狂させるかもしれない。
段階的に進行してより大きな範囲を占領するため、閲覧されうる層の幅にあわせた表現をしてくるかもしれない。それは今後の作戦の手腕によるだろうから好きにしてもらったらいいとおもう。
私はこの漫画に興味がないので好きなように市場を席捲してくれたらいい。べつにかかわらない。

 

ただ騒動となっていることが女性の胸だ、胸がおおきいとかちいさいとかもっと語るべきだとかになっていることが的外れで迷惑が広がるので勘弁してほしいということだ。
胸がおおきかろうと小さかろうとしらんし、それをとやかくいうつもりもないので宇崎ちゃんの胸をどうしろとか、グラビアアイドルに公正委員会を設けろとかいわない。
そもそもに話がわからない層にいきなり内輪ネタをもってきて喧嘩になっていることに胸の大小をもちこんで巻き込むなということだ。
さらに男女であるとかそういうのも巻き込まなければなおよい。
男女ペアをみて「カップルですか?」とか失礼きわまりないだろゲイかもレズかもしれないのに、性の自由差別だとかもいいたければいう人間もいるかもしれない。
表現の自由というのはそれをわざわざ当事者だからと首をつっこんで「じゃあ明確にしましょう。そういう人はこうしていいし、これはしちゃだめ」という行動制限の首輪をつけられないためにそこに言及せず日陰でくらしていてもよい権利のことではないのか。
日陰もぜんぶスポットライトをあてて明示化し明暗をわけきることが必要でそれが正義で、それこそが自由だというなら、自由の戦士とたたかってこれを倒すことをめざさなくてはいけない表現者もいるのではないか。

 

どんだけおっぱいすきなのか知らんが、それで争っているのは人間だぞ。
人間がどういうものなのかをまず話し合うべきなんじゃないのか。